吸血鬼パロ(和風)

※西洋風同様、とある方に送り付けるため(…)書いた話。てきとう、唐突に場面が変わります。そして唐突に終わります。
※設定…仁王/主様、赤也/眷属(黒猫)
※完 全 に 内 輪 ネ タ で す 。





 ――唄が聴こえる。

 高低が不揃いな声は、おそらく年端もいかない子供のもの。時折笑い声が混じるその唄は、漣のような響きを持って押し寄せてくる。
 重なり、重なり、やがて飽和する。遊び唄のようにも、呪いの唄のようにも聞こえる子供たちの声。後頭部で響いていたそれは、内部に侵入し、脳を直接揺さぶる。胃が捻じ曲げられる。

 懐かしい遊び唄はいつしか、どこまでも無垢で、おどろおどろしい呪詛にしか感じられなくなった。
 きっと声が重なりすぎたせいだ。耳で聴いているのか、頭の中を占拠されているのか、わからなくなってくる。

 ――吐きそうだ――。

 音の奔流に意識が遠退きかけた時、痙攣を起こす目蓋に触れるものがあった。背筋が泡立つ。
 確かに目蓋を掠った感触はすぐに消えた。声の漣は止まない。身の内からじわじわと絞め殺すように浸食されていく感覚が、指先を冷え込ませていく。
 微かな感触のことなどすぐに忘れてしまいそうだった。けれど今度は、氷のように冷えた指先を何かが包んだ。

 ――あたたかい。

 呪い唄に飲み込まれそうだった心に、ほんの少しだけ、灯りが燈る。離れていかないよう、放さないようにその温もりを掴んだ。

 「――、――……」

 幼い呪い唄に、別の声が混ざる。
 不明瞭なそれを聞き取ることは出来なかった。耳を澄ませようと、吐き気を堪えようと、手の内にある確かな温もりを握りしめようと。

 「――、――……」

 ああ、だけど、たしかに。
 確かに、そこに。そこに、誰かが。
 目も利かず、喉も震えず。耳のみが機能するどこまでも白い闇の中、俺を、呼ぶ声が。

 きっとそれは、救いの声。



   ▽



 唇を動かし、あかや、と呼ぶ。
 音に乗せたつもりの呼び掛けはしかし、空気を震わせることはない。緊張した喉がピリピリと乾く。痛みを感じるほどに。
 たった一音さえまともに発せない自身に失望していると、どこかで鈴の音が零れた。重い目蓋を半分ほど持ち上げ、眼球をぐるりと動かす。

 梁が剥き出しの天井。人の顔に見える木目。利き手側には梅が描かれた襖、逆側には白く白い障子がある。
 若草のような畳の匂いが鼻先を掠める。躰を包む柔らかな羽毛、頭部には蕎麦殻の感触が。

 自室――それを躰が理解するまでに、ゆうに三十秒はかかった。
 理解と同時に鈴の音の正体も掴めた。
 華美な調度品はあれど、音の元となる物など皆無なこの私室に響くなら、ひとつしかない。

 「……赤也……」

 今度こそ自らの耳にも届いた。笑えるほど掠れてはいたけれど。
 縋るように指先を動かした。肩から羽毛独特の感触が滑り落ち、しゃなりと掛け布団が擦れる。
 指先が空気に触れるより早く、布団より遥かにあたたかい何かが首に巻きついた。前触れもなく絡んだそれに驚くことはない。むしろ、酷く安堵した。

 「……そこおったん。赤也」

 絹よりごわついている、けれど滑らかな何か。わざわざ顎を下げずとも正体はわかりきっている。細く長く、しなやかで、声の代わりと言いたげに振れる尾だ。言葉を操ろうとしないこの気まぐれな眷属の感情を、つぶさに表す黒い尾。
 声を掛けても何も返ってはこない。ただ絡みついた尾が解け、鼻先を擽っていっただけだ。
 充分過ぎる反応を小さく笑い、闇雲に伸ばしかけた指先を頭上へと持っていく。おおよその場所で空を切ると、尻尾よりずっとあたたかな躰に触れることが出来た。

 瞬間、脳裏にあの唄が蘇る。
 内臓を捻り潰されそうだった声々と共に、何かも掴めなかった温度も思い出した。

 おそらく……きっと、たぶん。あれは、こいつの――。

 一瞬の呆けを見逃さなかったのか、触れた部位が揺れた。咎めるように俺の掌へどこかを擦り付けてくる。僅かに濡れた感触。きっと鼻だ。

 「不便じゃき、変化しんしゃい」
 「…………」
 「おまんに訊きとぉ話あるんよ。早う」

 撫でろと言いたげに擦り付けられていた頭がふと止まり、一拍置いて不満げな鳴き声がひとつ。
 眷属の契約を交わした遥か昔に、せっかく俺が変化能力を付加してやったというのに、赤也は変化を極端に嫌う。……嫌う、というのは語弊があるかもしれない。嫌うというよりむしろ、億劫がる、のほうが正確だ。
 そんな気儘な眷属殿へ「頼む」と伝える前に、目の前がおぼろげになった。薄い白の霧に似た靄が漂い、ただでさえ寝起きで不明瞭だった視界がさらに見通し悪くなる。

 天井の梁が霞む。清涼な空気はどこか澱み始める。枕の向こうから漂う頼りない靄が、私室の何もかもを歪めていく。
 目を伏せ、ゆっくり十を数えた。声には出さず、心の中で。

 伍。陸。空気が重くなっていく。
 七。八。頬を掠る靄が薄らいでいく。
 玖。閉じた目蓋に何かが触れた。
 拾。薄く開けた片側の視界一杯に、鮮やかな翡翠が映り込んだ。
 
 「――訊きたいことってなんすか? 主様」

 ようやく聞こえた声は、その首にある鈴より涼やかで。
 不満げな色を隠そうともしない翡翠が、なんだか可笑しくて。
 何も答えずいると、変化は億劫だと常々ごちる唇から、また悪夢を見ていたなと、すべて見透かされた言葉が零れ落ちて。

 眼球の容を確かめるように這う指先が、やけに愛おしい。

 「おはよーさん」

 つい、笑ってしまった。
 気が狂うほど生きた歳月の殆ど、毎夜のように心を喰われ続けている悪夢など、今この瞬間、記憶から抜けてしまった。……そんな世迷言は、終に紡がなかったけれど。



   ▽



 悪夢を見るようになったのは、いつからだったか。
 初めて自力で歩いた瞬間を覚えているか。その問いと同程度に、悪夢の始まりを思い出すことは困難を極める。

 始まりの日は遥か昔。時代をいくつも遡るほど昔。それくらいしか覚えていない。人の姿を借りた化け物である俺でも、人と同じように、忘れたいと願えば願っただけ、事実そうなるものらしい。
 
 始まりは忘れてしまった。けれど悪夢の内容自体は昔から何一つ変わらない。

 唄だ。唄が聴こえる。
 躰の感覚は殆どない。白い闇の中、どこからともなく子供たちの声が届く。
 不可思議な浮遊感を覚えながら、俺の両耳はいつもその唄声を拾う。はじめのうちは遊んでいるように思えても、いつしかそれは俺を――すべてを、浸食し、蝕み、飲み込んでいくような呪い唄に聴こえてくるのだ。

 それは悪夢以外の何物でもなかった。
 蛇のようにするりと体内に侵入してくる唄声は、聴覚だけに留まらず、すべてを壊しにかかる。
 臓腑も心も記憶も、何もかもを。

 どれだけの間、独り悪夢に蝕まれていたかも、実のところあまり覚えていない。朝夕の境、生死の境すら曖昧になっていた遠い日、唐突にそれは現れた。

 開かずの障子の向こうに、影。
 小さな黒い影。胴体部と繋がった長い影がゆらゆらと揺れるのを、障子越しにぼんやりと眺めた。それはまるで、ここを開けろと訴えているようだった。

 起き上がるのも億劫だったその頃の自分が、何故その時に限り身を起こし、永く閉ざし切っていた障子に手を伸ばしたのか、いまだによくわからない。
 行動理由も掴めないまま、俺は障子をほんの僅かに引いた。
 随分な期間を放置していたせいか、滑らかなはずの滑りは悪く、耳障りな音が立ったことは今でも覚えている。

 開けた片手分の隙間から浸み込んだのは、生温い夜風。柔らかな月光。唄の残響が残る耳に届いたのは清涼な虫の声。

 無意識に目を細めていた。唄に侵された心身にそれらすべては優しすぎた。優しすぎて、現実味がなかった。

 絶っていたものが急速に浸透していく最中、足元で、小さな小さな獣の声が落ちた。
 影の正体は猫。真夜中の空を切り取ったような毛色の、小さな黒猫だった。

 月光を背負い、こちらを見上げていたその猫は、それから一度として鳴かず、ただひたすらにその翡翠の両眼を真っ直ぐ向けてくる。

 俺は人とは違う。人が云うところの《化け物》という存在だ。
 人の生き血を啜り、啜られた人間を同族へと変異させる、忌まわしく恐ろしい存在。闇を好み、白昼の下に身を晒せば、たちまちに灰と化す化け物――吸血鬼。と、人の間では古くから言い伝えられている。出生の意味や時期などは知る由もないけれど、俺はそういう異様な生き物としてこの世に存在し続けている。

 始祖――かつていた仲間はそう呼んでいた。生を結ぶ過程が不明な俺や、俺と同様の境遇の者は、そう呼ばれ、崇められ、また恐れられていた。
 同朋ともどこか異なるその存在故か、ただの性質か、人語を持たない動物の声なき声を拾うことは呼吸と等しく容易だ。今までの生の中、読心が叶わなかった動物はいない。これからもそうだと思っていた。

 けれどこの時、一心に見上げるその猫の心を覗くことは、終に叶わなかった。

 久方振りの夜風。それに靡く黒毛や細いひげ。黒の中爛々と輝る翠。程近くで響いていた虫の声すら遠くなった、不可思議な空気。

 永久にも似た永い時を生きてきた。
 目に映るものすべてが霞み、色を無くし、心は褪せ、終には血を渇望することもなくなったほどの永く永い時を、独りで。
 鏡面のような翡翠の中心には、そんな自分が映っていた。
 焦点の合わない眼で。死人のような顔つきで。そんな、悪夢に縛られたきりすべてを閉ざしていた、ありのままの自分が。

 「……入り」

 乾いた唇が紡いだのは、たったの一言。
 霞みがかった世界の中、初めて対峙した何も読めないその猫を、俺はきっと特別に感じていた。猫の目に映る自分と向き合うことすらも、どこか特別に。

 意図を理解したように、その猫はするりと隙間を抜け、室内へ侵入した。そして、何をするわけでもなく、今し方俺が臥せっていた寝具の真横に丸まり、寝息を立て始めた。
 図々しい小動物だ。
 思うと同時に口角が上がる。障子を閉め、寝具の傍へ進み、規則正しく上下する躰を見下ろした。

 笑ったのなど、いつが最後だったか。  記憶にすら掠らない感情変化が、どうにも擽ったく、眠る猫を見つめたまま緩む口元を覆い隠した。

 かつての仲間すら招き入れたことのないこの屋敷初めての珍客は、そうしていつの間にか居着いてしまった。
 猫は名前を持たず、家もなく、また、俺の傍を離れることもなかった。日中夜無関係に寝所から動かない俺を、障子の向こうにある縁側へ、明くる日にはその先にある庭へと連れ出したのもその猫だ。

 会話も成立せず、読心も叶わない猫と過ごす日々は、どうしてか心が安らいだ。荒涼としていた庭を猫と散歩するのも悪くなかった。

 時たま猫は、雀や鼠を捕り、それを俺に見せる。誇らしげな目が可笑しく、まだ息のあるそれらを逃がしながら、要求通りその小さな頭を撫でてやったりもした。

 猫との暮らしがこの屋敷にも、この身にも馴染んできた頃。
 依存を厭っていた筈の俺は、その猫に名前を与えた。
 赤に也と書いて、赤也。人のような名を付けたのは、その猫がどうにも不思議で、まるで同じ存在と過ごしているような錯覚に陥ることがしばしばあったからだ。

 赤也と名付けた猫は、名を呼ぶたび尾を揺らし、それを俺の左手首へと巻きつけてくる。最初こそ名付けの礼かと考えていたその仕草は、それから随分な時を経た今でも変わらない癖となっている。

 名を与えてから、四季を幾度か見送った。
 数度目の雪景色を、赤也とふたり、縁側で見ていた時。
 膝の上で丸まる赤也の背を撫でながら、目を傷めかねない白を眺め、ふと、口が動いた。

 俺の眷属になるか、と。

 りん、と鈴が鳴った。眠っていたはずの猫は身を起こし、邂逅の時と同じく、ただ無言のままじっと見上げてきた。

 眷属に――どうしてそう考えたのか、口にしたのか、自分でも答えが見つからないまま、尾が絡む左手首に永く使っていなかった牙を当てた。
 針で刺したような微かな痛みの後、小さな玉となった赤が膨らむ。人外の自分でも、流れる血液は人同様赤。その事実を今さらに思い知る。

 一定の大きさから変化しなくなったその血を、何も言わない猫の口元へ運んだ。今まで一度として眷属を持たなかったのに、そうすればいいのだと何故か解った。

 小さな傷から出た鮮やかな赤を、赤い舌が舐め取る。
 酷く淫靡だった。傷に当たる小さな牙の感触さえ、言い様のない感覚を齎した。
 それはおそらく、血を啜り続けるこの黒猫にも同様に――。



   ▽



 名を与え、眷属の契約を交わし、人への化け方やその能力も与えた。
 にも関わらず、当の本人は今日もまた猫の姿で俺の膝上を陣取っている。

 「のう赤也」
 「…………」
 「おまん俺ん眷属じゃろ。たまにはそれっぽく働きんしゃい」
 「…………」
 「肩揉めとは言わんき、せめて茶ぁくらい出しぃ」

 願いと咎めを半々に込め見下ろすも、軽く目を合わせただけで、何も言わずまた昼寝の体制に戻ってしまう。

 とんだぐうたらを眷属としてしまったものだ。
 溜息をひとつ落とし、上下する背を撫でながら天井を仰ぐ。

 仕方ない。これがこいつなのだ。
 小姓欲しさに契約をしたわけじゃない。ただ……そう、ただ、こいつは家を持たない野良だったから。いずれここを離れてしまうかもしれない、野良だったから。
 手放したくなかったのだ。こいつの意思とは無関係に、俺が手放したくなかった。契約はそのための手段にすぎない。



某さんに送り付けた小話2&これをベースにいろいr 2
仕事の休憩中に書いていて、幸真主従出す前にタイムアップ→なんとも中途半端なあれに…という話。