0523



「先輩、今日なんの日か知ってます?」

 部活帰りの夜道。同じような住宅が続く道中、隣を歩いていた赤也は、そう言ってふっと俺を覗き込んできた。街灯の光による陰影が深いその表情には、心なしか淡い期待が滲んでいる。

 今日はなんの日――?

 やけにキラキラとした視線を浴びながら、暗い空を見上げた。  まんまるに程近い月。カスみたいな小さな星たち。頭上に拡がるそれらを見つめようと、そこに質問の答えは見つからない。

「先輩先輩っ」
「あー……」
「あー、じゃなくって。なんの日か知ってます?」
「平日」
「んなこと訊いてんじゃねえっつの! ヒントほしい?」

 欲しいかどうかを訊きながらも、その顔には言いたいと書いてある。いつもながら、わかりやすすぎだ。笑いそうになったのを寸でで堪え、うずうずと肩を揺らす赤也へひとつ頷いてやった。

「しょうがねえなあ」

 嬉しそうにへらりと笑うその仕草すら可笑しい。
 赤也の足が止まる。倣うように俺の両足も止まった。
 道端で停止した俺たちを取り囲むものは、夜の黒と月の山吹。街灯と街灯の間、夜色の赤也の髪は周囲と同化して少しぼやけて見える。
 どこかで猫が鳴いた。それが合図だったように、白く浮かぶ喉が僅かに動く。

「ヒントいち! リア充っ」
「頭大丈夫か」
「えっ、ひどっ! んじゃあヒントに! してえなあってのがこんくらい、しょうがねえなあってのがこんくらい」

 言いながら、このくらい、と両手でその大きさを表された。《したい》がソフトボール大、《仕方ない》が人ひとり分ほど。……意味がわからない。参謀がいれば通訳を頼めたものを。
 当の本人はといえば、ヒントを出し終え満足したのか、得意気な雰囲気のまま鼻歌を口遊んでいる。俺のじっとりした視線に気づいても楽しげに笑うだけで、一向にそれ以外のヒントを落としそうにない。あとは自分で考えろとばかりに、どこかで聞いたことのある軽快な鼻歌を涼しげな虫の声に馴染ませている。

 頭の中で、今日の黒板の隅を思い浮かべてみた。
 日直ふたりの名前の上には、五月二十三日の白文字。語呂や繋がりを何パターンか考えてみたけれど、二十三から連想できるような《何か》にはさっぱり思い当たらない。
 あっさり白旗をあげようとした時、ふとさっきの白い手を思い出した。ソフトボール大の円を作った手。その後、俺ひとりを包めそうなほど大きく動かされた手。

(リア充……したい……しょうがない……)

 いつの間にか鼻歌からしっかりとした歌声に変化させていた横顔をじっと見つめる。
 考える時間を与えているつもりなのか、その眼がこちらへ向けられることはない。さっきの俺のように、暗い暗い空を見上げたまま、聞き覚えのある曲を歌うのみ。
 一台のバイクが一気に近づいて一気に離れていった。一瞬赤也の声を掻き消した改造マフラーの音はすぐに遠くなり、また歌しか聞こえなくなる。舞い戻った薄暗さの中、まだ出きっていない喉仏の震えとその白さだけがやたらと目につく。

 数分前に大きさを表した両手は、今はスラックスのポケットの中。
 出された《ヒント》をいくら考えようと、横顔を不躾なほど見つめようと、声や姿に気を取られてしまって、考えがちっともまとまらない。答えなんて見つかりやしない。

 揚げ足を取るのは得意なはずなのに。

 何も浮かばない悔しさから、剥き出しの腕を掴んだ。掌に俺より高い体温が浸み込む。
 赤也が目を瞬かせたのは一瞬で、力任せに引き寄せた後は、近すぎて何も見えなくなった。
 喉の白も、俺を見ない横顔も、夜色の髪も、何も。

「っ、ふ……、……――」

 甘さを孕んだ細い吐息がひとつ。
 悔しさと八つ当たりを舌に込め、対応しきれていない唇をこじ開けた。戸惑うように萎縮する舌を絡め取り、軽く吸ってやる。薄いシャツ越しに肩の震えが流れ込んできた。掴んだままだった腕は、じわじわと熱を増していく。
 空いた手で後頭部を固定してやると、背中側のシャツが僅かに突っ張った。口端や鼻から漏れる微かな息が鼓膜を揺さぶる。
 逃げようとはせず、拙い動きで応える舌。片手分ほどのシャツの突っ張り。逃げないという事実。
 答えを見つけられなかった悔しさなど、それだけでもうどうでもよくなってしまった。八つ当たりのキスで絆されるなんて、俺も大概だ。

「――……、は……ぁ……」

 掠れた声に理性を揺さぶられながら、ゆっくり、距離を惜しむように、唇を離した。
 額を合わせる。じんわりと伝わる体温は、やっぱり俺より高い。

 余韻に浸っていると、腕の中でもぞもぞと身動ぎ、

「……、なにもさあ……」
「んー」
「なにも実践しなくても、いいと……思うんすけど……」

 言いにくそうな小声が落ちる。何がと訊き返してもまごつくばかりでまともな答えは返ってこない。

 目を合わせてやろうかと思ったけれど、やめた。
 どうせ避けられるに決まっている。そうしたらきっと、俺はまた、言葉を奪ってしまうから。

 答えよりなにより、
 今はもう少し、このままで。



5/23はキスの日らしいとTLが盛り上がっていたので便乗。そしてタイトル考えるのを放棄した話。 仁王はこんなに鈍くないだろ、と今思いました(遅い)